新婚旅行は、国内旅行

「新婚旅行は、どこにしよう」と、結婚前の夫と相談した時、「絶対に国内旅行にしよう」と言われました。夫は飛行機が大嫌いなので、海外旅行は絶対に嫌だと言い張りました。私自身も言葉が通じない外国に行くよりも、言葉の通じる国内旅行の方が気楽だろうと思い、夫の意見に賛同しました。新婚旅行の行き先は、九州。結局、飛行機に乗る事になりました。
卒業旅行でヨーロッパ方面へ行く人の中で、ドイツを目的地とする人もいると思います。ドイツには歴史のある都市も数多くあり、名所旧跡も数多くあるために、地図を片手に散策するのも楽しいと思います。またライン川を船で下るようなオプショナルツアーに参加することで、より一層ドイツの観光を楽しめると思います。特にドイツは国土が広いので、卒業旅行ではエリアを絞ってじっくりと観光を楽しむ方法もオススメだと思います。
 ◇「バンブーバレー構想」
 八女を世界の先進都市に−−。豊富な竹林資源を生かした製品の開発、製造を進める拠点施設「八女バンブーバレー実証研究センター」と、同センターに誘致した九州工業大のエコタウン実証研究センター分室「八女サテライトラボ」の開所式が16日、八女市立花町の旧辺春中学校(閉校)で開かれた。【上村里花】
 開所式には、三田村統之市長や同大の松永守央学長、同センターを運営する「バンブーテクノ」社の近藤宏章副社長ら関係者約80人が参加した。
 同市は、2461ヘクタールと国内最大級の竹林を有する一方、高齢化などで竹林の放置が問題になっている。そのため、竹を生かした新産業の創出・発展を目指し、同市は昨年9月、同大と包括連携協定を締結。また、竹関連産業の集積を図る「八女バンブーバレー構想」を打ち出し、拠点施設として同センターを設置した。
 センターでは、バンブーテクノ社が、同大サテライトラボの支援を受け、竹粉製造や、竹粉とプラスチックを混ぜた「エコ食器」など高付加価値製品の開発など、竹林資源の総合活用を図る。
 また、島根県益田市の山本粉炭工業からの技術移転を受け、同社が開発した粉炭製造技術の普及にも取り組む。この技術では、簡単な窯一つで、50トンの竹やチップから10トンの粉炭を製造できるという。東南アジアからの研修生を受け入れるなど、海外への技術移転も目指していく。
 同大エコタウン実証研究センター長の白井義人教授は「八女のような中規模で、自然のある都市こそ、21世紀の先進都市になる。豊かな自然資源と技術の融合で、世界の先進都市になれることをここで実証したい。また、技術を世界に発信していく」と意気込む。
〔筑後版〕

5月17日朝刊

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 北九州市の「副都心」と呼ばれ、西の拠点となってきた八幡西区黒崎。周辺の大手企業の人員削減が進むにつれ、街から活気が薄れてきたようにみえる。だが、街を歩くと復活に向けて新たな動きが確かに感じられる。黒崎の魅力をもう一度、市内外にアピールしようと奮闘する人たちを紹介する。
 ◇心通う、下町再び−−企画会社代表・井口さん、構想固め熱く
 映画の復活を手始めに八幡西区の黒崎を九州一の下町にしようと張り切る男がいる。井口(いのくち)洋(ひろし)さん(45)。
 映画会社「東映」で映画制作のノウハウを新規事業に生かす部署で働いていたが、自ら映像制作会社をつくるため退社。キャリアを積んで、高校卒業まで慣れ親しんだ黒崎へ09年9月に戻った。
 商店街の空き店舗で企画会社「ウデキキ興業」を設立し、行政や商店街などが実施するイベントをサポートしたり、ストーリーを考える組織「クロサキカンパニー」をつくったりした。寒すぎる!高収入バイト●現況レポートこうした活動を続けながら下町づくりの構想が膨らんでいった。
 構想にはどうしても映画館の存在は欠かせなかった。企画会社設立と同時に旧映画館のオーナーと交渉し、映画館の復活に向けて準備を始めた。
 黒崎は75年ごろは8館の映画館がある九州でも有数の映画の街だった。当時、映画はどんな人でも楽しめる娯楽。映画館は歓楽街のランドマークだった。92年ごろから郊外型のシネコンに押され、次第に配給会社の系列型映画館は衰退していった。
 「皮肉な話ですが今、復活させようとしている映画館は、かつて私が携わったシネコンの開業で廃館した映画館です」と井口さん。
 映画にこだわるのには訳がある。井口さんは黒崎に帰郷してまず、商店街に空き店舗が多いことに心を痛めた。「産業構造の転換により、店舗や街並みに隙間(すきま)ができて人の心にも隙間がある」と感じた。都市化するなか衰退する黒崎をみて「街なかで映画を見る心地よさを取り戻そう」と決心した。映画館を中心に人の心が通う下町づくりのスタートだった。
 新しい映画館では「メジャーなロードショー映画を流すのではなく、地元の人たちがもう一度見たいと思う名画・旧作や地元では公開されない映画を中心に上映したい」と井口さん。「映像のデジタル化によるさまざまなジャンルの映像やコンサート、パブリック・ビューイングにも取り組みたい」と話す。
 「映画館の再生は街づくりの手段の一つ」と井口さんは考える。最終的には人が一堂に会する場を提供し、ビジネスとして固めていく構想だ。
 「黒崎の街から刺激を受けて育った。東京にいても、そのDNAは残っていると感じた。そんな感性が次世代に伝わるような下町をつくりたい」と熱く語る。【久松圭】
 ◇「かつてのあこがれ、復活へ協力を」−−松永武さん
 往年の映画のポスターや資料を展示する市立門司市民会館・松永文庫の室長、松永武さん(76)によると、北九州地区の映画の最盛期は1961年ごろ。旧5市の映画館数は113館あった。うち旧八幡市には38館、黒崎地区には黒崎東映、黒崎大映、永楽館など8館。
 「娯楽といえば映画しかなかった。みんな映画を見てファッションにあこがれた。映画は庶民文化のリーダーだった」と解説する。黒崎で銀幕を復活させる動きがあることについて「北九州の映画復活ののろしが上がり始めた。協力は惜しまない」とエールを送る。
 ■あの頃
 ◇発展する国鉄黒崎駅周辺(1973年2月)
 田中内閣の下、列島改造が進んだ。そんな中、洋画ではこの年「ゴッドファーザー」がアカデミー賞作品賞に。毎日映画コンクールでは72年「忍ぶ川」▽73年「津軽じょんがら節」▽74年「砂の器」が日本映画大賞に輝いた。今こそ着手すべき出会い系|サクラ♪の巻
〔北九州版〕

5月17日朝刊

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